私は今まで、たくさんの人と出会い、泣き、笑い、助けられ、今があります。
10代の思春期には、友達の事を第一に考え 「自分はその次でよい」 という思いが強かったように思います。
例えば、友達が傷つけられれば 「わが身を犠牲にしても助ける」 その為には 「何をしてもよい」、
極端に言うと、友達、先輩、後輩以外はすべて敵とさえ思う時もありました。
すごく狭い世界ではありますが、「相手の為に考え行動する」を友達を通じて、思春期に学んだと思って
おります。
10代は、友達と毎日全力で遊んでおりましたが、20代になると結婚して家庭を持つ友人があらわれ始め、
一人、又一人と友達が減っていた。
そのころ私は、仕事を覚えはじめ楽しく、仕事に没頭し、自分で決めた範囲まで出来ないと、休憩するのも嫌だった。
子供の頃、プラモデル作りに没頭し、親に「早く風呂に入れ」と叱られても、作り続ける自分がいた。
あのころの、物事に没頭し、夢中になった感覚と同じ事にきがついた。
仕事に没頭すると、時間が過ぎるのが早く、頭の中は目の前の仕事しか無くなります。
仕事に没頭する喜びにきがついた20代の初めでした。
仕事に没頭する事の喜びに気付いた20代前半、私の頭の中は仕事中、目の前の仕事の事で
いっぱいだった。
どうすれば効率良くできるか?どうすれば綺麗にしあがるのか?どうすればあの社長のように
なれるのか? そんな時、先輩職人がいてこの先輩はとにかくしゃべる人だった。一服
中はともかく、仕事中 口が開きっぱなしの状態、この先輩に仕事中しゃべりかけられるのが嫌で
たまらなかった。頭の中に関係ない事を入れたくなかった。
仕事は楽しくなければ続かないと思いましたが、この先輩は「おしゃべりを楽しんでいるだけだ」
仕事の楽しさは「集中し没頭する事だ」考え方が違うと思いはじめた、今思うと仕事に没頭する
事で自分自身が、成長したと思っており、そんな中20代半ばで独立した。
20代半ばで独立し、私はがむしゃらに目の前の仕事に向かっていた。
バブルが崩壊したとはいえ、当時はあふれるほど仕事があった、昼間は住宅の塗り替えをし、夜は内装屋さん
からのマンション内部の塗装で、1日3時間の睡眠なんて日もざらだったが、苦ではなくむしろ充実していた。
そんな中社員が1人、1人と増え始めると、私の仕事についてこれない、「私は自分の価値観を人に押し付ける
のはあまり良くないではないか?」と思い始める。当時職人は集まりにくく、人集めが仕事でもあった。
そのためどうしても会社の教育が甘くなり、無断欠勤している職人に電話をかけ何とか翌日
仕事にでるようお願いした事もあった。 そんな会社の無法時代は長く続かなかった。
インペックスは社名変更しており、当時は井上塗装工業が社名でした。
仕事が安定しはじめ職人が足らない当時、お恥ずかし話ですがクレームが多発した。
「井上塗装の職人は現場でパチンコの話ばかりしている」とか「井上塗装の職人は
3時から休憩をはじめて4時近くまで話をしている」等々クレームを頂き、板挟み
の私がいました。「職人に強く叱ると明日会社に来ないのではないか?」 に対し
「このまま放置すればこのお客様はよそに行ってしまうのではないか?」
こんな中考えた。そして強行した。 当時私に教育という言葉はありません。
去る物を追わない事にしたのだ。
私の価値観を押し付け始めた。これで社員が去って行っても私は追わない、
どんなに優れた社員が去っても不思議な事に、会社は数日後何事もなかったように動いている。
私がいなくてもこの会社は動き続けるのではないか?
会社は私の物では無く、一人の人間と同じで私の思う様にはならない事に気がついた。
会社の売り上げは順調に伸び始めた。 当然、利益も出始めたが
当時の私は、税金を払うのが馬鹿らしかった。
なぜこんなに苦労して出した利益の40パーセントも払わなきゃならないのか、
世の中の経営者が不思議に思えた。 そしてなにより決算上の利益は今会社にはない
どうやって税金を払えばよいのかわからなかった。
当時は、完全にサイト負けしており、入るお金よりも出るお金の方が早かった。
当時の私にキャッシュフローという言葉はなく、お金が足らなくなると親父に
工面してもらっていたが、金額が数千万単位になるとさすがに親父の所には
いけなくなっていった。そんな頃から銀行で運転資金の借り入れがはじまったが、
当時は、親父に連帯保証人になってもらったり、結婚したての妻も保証人に
して借り入れをおこしていた。今の支払いが出来ない会社の資金をかしてくれる
銀行が神様に思えた。こんな未熟な経営者に大金をかしてくれるのは当然
銀行も商売だが、会社を見て融資して頂いたのだ。 世間はこの会社を
信用してくださったのだと思い始めると考え方が変わっていった。
会社は誰の物でもなく社会の歯車の一つで、私はこの会社の事を一番に思い、一番の責任を負う者でしかない。
会社は私たち社員を守ってくれるように、私が方向性をたて、何があっても揺るがない会社にする責任を負っている。
よく「社員を大切にする会社」と言うフレーズを聞きますが、「会社を大切にする社員」こちらが先ではないか?
会社にはもともと意思がなく、この思いを吹き込むのか私達社員であり、社風となる。
インペックスの意思は、この会社が生まれた時からの思いを理念に替えているだけなのだ。
インペックスの経営理念は。
仕事に没頭する喜びを知る集団。
仕事に没頭する喜びにより自分自身を成長させる集団。
仕事に没頭する喜びを頂くお客様、社会へ感謝する集団。
私が考えるお客様社会に対しての一番の貢献は、インペックスが継続し続ける事。
その為に、私は大きな責任を負い続ける。 完